「教育」への挑戦
以前より日本の音楽教育には改革部分が多々あると感じておりました。
先般、とても親しくさせて頂いている友人である予備校講師の方と教育に関する意見交換が出来ました。
その際、私が抱いていた色々な疑問点がより明確に見え、また解決の糸口が見えてきましたので、久々に筆を執った次第です。

日本の教育(全般)に関して云えることは、少々前まで「記憶」という手法を重点的に伸ばしてきた感があります。言い換えると「暗記」の教育方針が強いように感じました。
最近特に学校教育では「考える」事を推進させています。これも言い換えますが、「思考論理を育て、暗記に頼らずに学習できる方法」という事になります。
ある学校教師は「暗記など一昔前の手法で、本当は暗記などナンセンス。必要ないものである」と云っているそうです。
この豹変した学校教育における変更を促したのは、やはり昨今の若年層に見られる「直感的行動・己の表現方法の衰退による無秩序」が原因なのかと私は思うのです。

では、昨今の教育界(の一部)が出した「暗記を否定する」教育方針は、はたして正解なのでしょうか。

音楽を教える立場は比較的この若年層との交流が増える立場です。拙くも過去多くの生徒に教えてきた経験を思い返して考えるに、教育方法の変更で解決し得ない問題が山積していると、強く感じます。
生徒は師を見ます。黙っているようで、良く見ています。例えば、記憶によって学力を養ってきた先生に教わる生徒は暗記をして学力を培うでしょう。逆に論理的に理解してきた先生の場合、生徒もそれを模倣する場合が多いと思います。しかしながら、其れは生徒一人一人の特色によって選択されるべきものであり、例せばどの方法でも東京大学には合格するでしょう。


私の感じる問題点は、
・教育者の教育(生徒)に対する真摯な向学心
・実社会の先達が行っている愚行
・被教育者の個性を見抜く事を放棄した包括的量産的教育施策
・「希望」を育てないレール式選択肢
・家庭教育の放棄
などであると思うのです。
何れのケースにも一貫して云えるのは「生徒は悪くない」という部分です。

日本は無宗教国家です。否、神道国家であると云っても過言ではないはずです。靖国問題一例を取っても判るとおり、日本の宗教思考は神道を基軸にしています。強いて云えば儒教の影響も強いでしょう。そしてそうした宗教が云っている哲学思想を日本人は「宗教と認識せずに」受け容れている感があります。
諸外国、特に宗教思想が発展している国では、こうした「教育」は宗教における聖職者が行ってきたケースが多いです。例えば教会の牧師は生涯教育という名目で大人にもミサを通じて説法(教育)を行っています。
日本にはこうした文化が皆無です。他者が他者を教える文化は学校教育のみです。現代の日本人は、声をそろえて「自由思想の国」であると声高らかに云っています。
しかし、日本の教育を考える上で、その根本の思想理念がないおかげで、憲法にも謳われている「公共の福利」という概念が欠如しています。特に自由論者には如実に。
私は宗教は肯定も否定もしません。私自身は別として、他者に強要するものではないと思っています。
しかしながら、そうした哲学思想に学ぶべき事は、日本人は多いのではないだろうか。特に教育界に於いては。


音楽教育に関しても、上記論じるところの「不透明な常識思想」が蔓延し、奏法・解釈法・音楽理論が先行し、その動機も自発も育てていない。
「記憶」と「論理」は同時でなければならない。
感覚として捉えることの出来る感受性を育てる教育、その感覚を再現するための方法論を理論として学び、理論を実践する為の練習がある。
このスパイラルを崩せば、ただのアナログプレイヤーになってしまう。
若しくは無意味な評論家になってしまう。
更にそうした輩が奏でる無機質な音楽が、無秩序な音楽が、後生の音楽家を育ててしまい、更に無機質・無秩序は進んでしまう。

今、中世の音楽が盛んに聴かれている。別ジャンルに於いても古き良き音楽が再度日の目を見ている。
これは現代を否定する世論ではないだろうか。
現代の作曲家や演奏家が、昔の音楽に傾倒するのでは話にならない。
前衛的な音楽がもっともっと創造されて然るべきではないだろうか。
そんな先達を抱えた後生の音楽家達は、どうなってしまうのか。


日本の教育全体を改革するためには、その根底となっている思想を変革しなければならない。
私は思想家でも何でもないのでこの辺は時に任せるとして、せめて音楽教育の現場で訴えていきたい。
音楽は三位一体である。
キリスト教の三位一体は、実はとても意味が深い。
仏教の三世思想も然り。
3という数字は、とても意味が深い場合が多い。
奇しくも、教育の理想のスパイラルも三点である。
この図式は省略し得ないものである。

私も少々前まで「思考・論理は大切な要素である」と、本執筆にも書かせて頂いているが、あくまで「それだけ」ではない。
思想の根底には「記憶」があり、「初期の記憶」を促すのは「希望・意志」である。
何度も何度も反芻し、このスパイラルを自らのものにした先達は、後生に良い音と思想をプレゼントしてくれている。
我々、特に教育者の立場に居る者は、そろそろこのスパイラルを自らそして後生にしみこませていくべきなのであろうと、強く感じるのである。


より簡単にルーチンを作っていこうとする現代の教育テクニックを、真っ向から改革したいと、強く思うのです。
そのためには、まず自らの行動を規範としなくてはならない。

実践あるのみです。
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音楽教育について / 学ぶ・教える・教育についての言葉
2007/04/07 2:19 PM
音楽教育音楽教育(おんがくきょういく)とは、音楽についての、ないし、音楽を通しての教育全般のことである。類語に「教育音楽」があるが、一般にはその語は学校における音楽教育を差す。音楽教育の分類にはいくつかの観点がある。*学校教育(授業 - 特別活動) - 学
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